プノンペン高等裁判所

カンボジア王国視察記

                           平成15年5月

1 カンボジア王国へ行ってみたい。

  私が、ペット法学会の事務局次長に就任してからもう2年が過ぎました。事務局長である新美育文先生(明治大学教授)とはEメールを活用して連絡を取り合い、細かな手続きの打ち合わせを進めています。直接顔を合わせて話が出きるのは年に数回ごく限られた時間だけ、じっくり話し合う時間がなかなかありません。そのうえ、新美先生は年に数回カンボジアに出張に行っていて連絡が取れないことがあります。カンボジアの法整備の支援をしているとききましたが「一体何をしているのだろう?」といつも不思議に思っていました。私は不勉強でカンボジアの実状をほとんど知らなかったのです。

  そこへ、法友全期会の田中みどり弁護士(47期)が現地を案内してくれる視察ツアーの話が持ち上がり、私は興味津々参加することにしました。新美先生がどんなところでどんな仕事をしているのかこの目で確かめてみたかったのです。

2 カンボジア王国司法制度の実状

アンコールワットで有名なカンボジア王国は、フランスの統治下にあった後、様々な内戦があり、ポル・ポト政権下(1975−79年)において、反革命分子とみなされた裁判官や弁護士など知識人を含む人達が大量(150万人)に虐殺されました。それ故、現在でも、裁判制度を担う適切な裁判官や弁護士が足りない状況です。そこで法曹人を育成する制度が必要なのです。

今年の2月にタイ大使館やタイ系企業の建物などが焼き討ちで全焼する暴動が生じた様に、治安は未だによくありません。強制執行という制度がなく自力救済が蔓延し、貸した金を返してもらえない場合は借り主の家に火をつけるそうです。交通法規はあって無いも同然、バイクのノーヘル・4人乗りはあたりまえ。反対車線を逆走する車もよく見かけます。爆弾テロもときどきおこり、つい最近も裁判官が路上で拳銃に打たれ暗殺されたという知らせを聞きました。

  裁判をするに際し一応の法律はあるようですが、国民の実体と合わないようで、法に従った裁判がなされていないそうです。雨期になると水没する地域が多いせいか、占有証明制度はあっても、土地所有権の登記制度はありません。裁判官に対する賄賂が頻繁にあるようで、法による支配は確立されていないようです。優秀な弁護士とは、一部では裁判官に上手に賄賂を渡し勝訴判決を勝ち取れる弁護士のことを指すそうです。国民の信頼を得られる法律の制定・司法制度の確立が必要なのです。そんな中、日本政府による法整備支援が始まったのです。

3 日本弁護士連合会の支援

  日本弁護士連合会としてはJICAの活動を通して、弁護士養成校の開設運営を手助けしています(詳しくは「自由と正義」2003年2月号60頁以下をご覧下さい)。カンボジア王国では、官に対する優遇は良いのですが弁護士に対する扱いはあまり良くないようです。国営の裁判官・検察官養成施設はあっても、弁護士に対する公の養成学校はないのです。プノンペン高等裁判所の法廷の座席配置も、裁判官の席が中央の高いところにあり、その左右に一段低く検察官と書記官の席があります。その書記官の席の更に一段下、裁判官席からは書記官の席の陰になりよく見えないところに弁護士の席があります。弁護士の地位の向上・司法制度改革、その為の弁護士養成学校の開設・運営が必要なのです。我々東京弁護士会の登録15年以内の弁護士グループである法友全期会は、日本の若手弁護士がどの様なお手伝いをできるかについて調査する目的で視察に行きました(平成15年2月)。

4 視察内容

  カンボジア王国の歴史・文化を知るため、シュムリアップにある有名なアンコールワット寺院を見学しました。そのほか「アンコール・トム」、巨大樹木の根っ子が遺跡に絡みつく「タ・プローム」、層房の砦を意味する「バンテイアイ・クデイ」、彫りの深いレリーフが残されている「バンテアイ・スレイ」などを見学しました。遺跡群地域への入場料は大人一人約2500円(20米ドル)でしたが、残念なことにその利権は外国に売ってしまい、カンボジア王国の財政を潤わさないそうです。また、観光客相手に子供にお土産を売らせたり、物乞いをしている光景をいたるところで目にしました。シュムリアップ空港から遺跡群へ向かう道は舗装もされてなく(舗装されているのはプノンペン市内の大通りのみ)、両側には雨期の増水対策用に床上げされた民家や商店がずらりと並び、飲み物の空き瓶にガソリンを入れて路上で売ったりもしていました。裸で歩き回り、川で遊ぶ子供達の光景も目にしました。

  シュムリアップ地方裁判所は2階建てですが、土曜日でしたので中の見学はできませんでした。プノンペン大学法経学部校舎内にある弁護士養成校の教室を覗きましたが、その日あるはずの授業は、講師である裁判官が急に仕事が入ったとのことで休校になってしました。教える人が足りない、無理矢理頼んでも教育より仕事優先といったところでしょうか。昼過ぎの一番暑いころ司法省に司法省次官アン・ヴォン・ワッタナー氏を訪ねお話を伺いました。来日したこともあり「日本の司法制度を見習いたい」との発言もありました。彼の案内により司法省の建物に隣接しているプノンペン高等裁判所を見学しました。その建物は屋根付きの廊下により司法省と一体化していました。はたして司法の独立は守られているのでしょうか?最高裁判所の裁判官は50人ほどいるそうですが、裁判官の任命権は司法省が持っているとのことです。

カンボジア司法省の一員でありカンボジアと日本の両国籍を有する甲斐峰雄氏宅で行われたホーム・パーティーでは、司法省次官補のイ・ダン氏のお話をきくことができました。彼は「平和と(外国語)教育が大切」と語ってくれました。

カンボジア王国弁護士会とは、昼夜の2回にわたり懇意懇親会の場を持ちました。カンボジア王国弁護士の数は少ないのですが、実働弁護士約180名程の内20名ほどが参加してくれました。日本人弁護士が沢山来てくれたと大歓迎されました。アメリカに留学して英語を話せる渉外弁護士さんもいました。

5 新美先生との再会

  新美先生とは司法省の一室で再会しました。司法省の大きな建物の中央外階段を登った正面の部屋にてスタッフと共に働いていました。特別にクーラーの備え付けられたその部屋でスーツを着てネクタイを締めた姿で出迎えてくれました。安田佳子弁護士(43期、東弁)や甲斐氏をはじめとする現地スタッフと共に、民法と民事訴訟法の草案を作っているのです。既に最終チェック段階に入り、2003年6月末にある選挙・国会通過に向けて最後の努力をしているそうです。日本にいても滅多に会えない新美先生に、カンボジア王国の司法省の中で再会したことについては、小さな達成感を覚えました。その後も、カンボジア王国弁護士会との懇親会や、翌日の昼食会にも新美先生にはおつきあいいただき、いろいろ為になるお話を伺いました。新美先生が何処で何をしているのか、その謎がやっと解けました。

  我が国の民法は明治時代初期に日本政府の手で独自に作られようとしましたが、それを断念しフランス人ボワソナード教授に依頼して10年以上かけて民法草案が出来上がりました。ところが、日本古来の慣習に合わないところがあり“民法いでて忠孝滅ぶ”と批判され、民法典論争の末、ドイツ法を手本とすることとなり採用されませんでした。しかし、日本民法の根幹を作った人と称賛できるでしょう。明治時代法整備のために多くの外国人法学者の助けを得たことでしょうか。それから約100年経ち教えを受けていた日本が、外国の法整備の手助けをしようとしているのですから、日本も法治国家として成長したものだと思います。

  新民法制定前のカンボジア王国では、暫定的にフランス法に近い旧民法や債権法の分野に関する政令(38号)を基準に裁判しているようです。カンボジア王国にもいろいろな宗教が混在しているのでしょうが、約9割以上が(上座部)仏教徒だそうで、仏教寺院の所有権に関して特別な取り計らいをする他は、統一法を制定することができるそうです。日本民法の押しつけでは実状に合わず、カンボジア王国国民は守ろうとしないでしょうから、当然のことながらカンボジア王国固有の慣習を参考にして実体に即した法作りをしたそうです。現地へ調査に行ったり、逆に地方の人には実状を話しに来てもらったりしたそうです。国民のほとんどは英語やフランス語を喋れませんから、法典は現地語であるクメール語で作ったそうです。法律の専門用語をクメール語に置き換えるのに相当苦労されたそうです。法案が出来上がると、次は6月末の選挙でどの様な勢力が議会の優位に立つかが気になるところだそうです。精魂込めて作った法案ですから、早期に国会を通過することを祈念しています。

6 最後に

  これまで、私は好きで英国ばかりに行って来ました。経済的にも司法制度的にも手をさしのべる必要性を感じる国へ行ったのは今回が初めてでした。暗殺、焼き討ちが絶えず、賄賂が蔓延り、交通事故が頻繁に起こる国を見て、悪いけれども法治国家としては遅れていると感じました。英国人が、日本に視察に来たら、日本の汚職、談合、自白偏重の刑事手続き等を見て、やはり遅れていると感じることでしょう。カンボジア王国の司法制度の確立の援助と我が日本国の司法制度の質の向上の為に努力します。

        以上

 

 
 

 

 

大量虐殺の為の収容施設跡(トゥール・スレン博物館)の見学

プノンペン高等裁判所法廷内  右奥が裁判席、左が検察官席、右手前一段低い机が弁護士席、書記官の机の影になっている
 

アンコールワット遺跡の前で記念撮影(筆者は右端)

お土産を売る為にバスに群がる子供たち

シュムリアップ地方裁判所

 

 

カンボジア弁護士会との懇親会

 

田中みどり弁護士、新美育文先生(左より2番目)甲斐さん(右端)と共に

 

ボワソナード本人の写真

ボワソナード(法務省法務図書館所蔵写真)